竹林の郷 1

 「まいったな、こりゃ〜」
 香藤洋二は沈みかけた太陽を見て、ぼそりと呟いた。よりにもよって、こんな山道で迷子になるとは…
 時は昭和の初め、大学卒業後、東京で探偵の助手をしていた香藤洋二の元に、一本の電話が入った。
 それは大学時代の恩師、寺本重蔵教授の細君からであった。
 事情を聞き、香藤は驚愕した。そして、ことの真相を確かめるべく、汽車に飛び乗り、岡山県の片隅にある村、竹園村へ向ったのだ。が、想像以上に山奥の村で、香藤は途中の山道で迷ってしまった。
「もしかして野宿かな〜」
 軽くため息をついて、道端の転がっていた大きな石に腰かける。
 懐から地図を取り出し、道を確かめたが、見た所間違っている風には見えなかった。
「途中、分かれてる道もなかったと思うんだけどな〜」
 村までタクシーで来た方が良かっただろうか。しかし、ここに来るまでの運賃が高くついてしまったので、薄給の身ではそんな贅沢は出来なかったのである。地図を見た限りでは、一本道だったし、車道よりかなり近そうだったので、徒歩で村に行く事にしたのだ。それに、小さい頃から運動が得意で体力には自信があった為、山道ぐらい平気だろう、と考えたのである。なのにこの様だ。
「ま、迷ったもんはしょうがない、覚悟決めるか」
 元来の楽観的な性格なので、こうなったら明日考えよう、と香藤は野宿する事にした。夜になってから歩き回る方が危険である。熊がいるなどという話はないが、山犬あたりはいるかもしれない。
「木に登った方がいいかな?」
 と、香藤は登れそうな大きな木を探しだした。
 が、辺りにそんな太い木は見当たらなかった。見わたす限り竹林が広がり、所々細い木が立っているだけである。
 さすが、竹園村という名前だけの事はある。今まで歩いてきた道端も、ほとんどが竹林に覆いつくされていた。香藤の恩師である寺本教授はこの竹を調べに、村を訪れたのである。そして……
『一体先生の身に何があったんだろう』
 細君から聞かされた話を思い出して、香藤は背中が寒くなる。そして日が沈み、暗闇が落ちて来た竹林が無気味なものに感じられてきた。
 少し、肌寒い風が香藤の頬を撫でる。
 もうすぐ春で、大分暖かくなってきたとはいえ、まだ朝夜は冷える。
『こんな竹林の中で先生は……』
 暗闇が無気味に迫る。
「あ〜駄目、駄目〜」
 弱気になる自分を奮い立たせて、また木を探し出した。と、その時、香藤の目に白く浮き上がるものが飛び込んできた。
 一瞬心臓が飛び上がるが、良く見ると、それは人の影であった。助かった〜と、香藤は声をかけようとしたが、その人物を見て、思わず声が止まる。
 竹林の中を歩いていたその人の美しさに、息をのんでしまったのである。
 闇の中に浮き上がって見える白い肌、溶け込んでいるよな黒髪。切れ長の黒い瞳と、筋の通った鼻に薄い唇。藍色の単が闇に溶け込んでいるようだった。
『竹の精か……』
 幻でも見ているかのような神秘的な光景に見えて、香藤はしばし見とれていた。すると、その人物の方が香藤に気付いた。
「誰です?」
 怯えたような警戒口調である。まずい、と思い、香藤は慌てて言葉を返した。
「すみません、実は道に迷ってしまった者です。もし、よろしければ、竹園村への道を教えていただけませんか?」
 香藤はゆっくりとその人物に近付いていった。傍らに立ってじっと見つめる。
 自分と変わらない体格の男性であった。
『綺麗な男の人だな』
 同性を綺麗などと思うのはおかしいかもしれないが、香藤にはその形容詞しか思い浮かばなかった。訳も無く鼓動が早まる。
「え?竹園村へ?」
「はい、亡くなった教授の代わりに竹を調べに……」
「ああ、あの植物学者さんの知り合いですか?」
「え、ご存知なんですか?教授の事」
「村で知らない者はおりませんよ」
「では、あなたは竹園村の?」
「ええ、村の者です。丁度私も村に帰るところですから、御一緒しましょう」
「ありがとうございます、助かった〜。野宿するはめになるかと覚悟していたんです」
 香藤のほっとした口調に、彼は微笑みを浮かべる。綺麗な笑みで、香藤はまたも、みとれてしまった。着物姿が良く似合う日本美人だな、と思う。
 二人は山道を並んで歩き始めた。
 教授の事をさりげなく聞いてみようかな、と思うが、彼と血なまぐさい話はしたくなくて香藤は止めた。ふと、彼の手元を見ると、大きな駕篭の中にたくさんの植物が入っていた。
「あなたも植物を調べているのですか?」
「そんなたいしたものではありませんよ。明日の子供達の授業に使おうと思って集めていたのですが、夢中になりすぎて、日が暮れているのに気付かなかった」
「でも、そのおかげで私は助かりましたけどね」
 香藤の言葉に彼はまた微笑む。
『本当に綺麗な人だな〜』
 と、香藤は失礼と思いつつも、彼の顔をじっと見つめた。
 なんだか、この世の人ではないみたいな雰囲気のある人だ。顔だちの整っただけの人なら、香藤は何人も知っている。香藤自身も男前で少年時代からよく女性に言い寄られた。が、目の前にいる青年の美しさはそれとはまったく異なるものである。
 女性的な美しさでもなく、きらびやかなものでもない。暗闇の中に浮かび上がる白い華のような……
 なんだか、触れて、確かめたくなってしまう。
『何考えてんだ、俺!?』
 香藤は自分の気を紛らわそうと、明るい口調で彼に話し掛けた。
「学校の先生なんですか?」
「一応、子供達に読み書きを教えています」
「すごいですね〜」
「別にたいした事では……あ、村につきましたよ」
「え、もう?」
 香藤はもっと長くかかると思っていたのでびっくりした。それとも、彼といたから短く感じたのだろうか?日はとっくに沈み、遠くに人家の明かりが見えている。
「どちらへ行かれますか?」
「え〜一応駐在さんの所に……」
「でしたら、この道をまっすぐ行って、電信柱の所で右に曲がって下さい。そこから少し歩けば駐在所があります」
「…あ、ありがとうございます」
「では、私はこちらの道ですから」
 そう言って彼は香藤に挨拶すると、反対の道を歩き出した。香藤は慌てて声をかける。
「あ、俺は香藤洋二っていいます。あなたは?」
「私は岩城京介です」
「岩城さん…本当にありがとうございました。助かりました」
 岩城は軽く頭を下げて、歩き出した。香藤はその後ろ姿をいつまでも見つめていた。
「岩城…京介さん…か……」
 もっと彼と話していたかった、もっと彼を見つめていたかった。と、香藤は何か不思議な想いが胸に宿るのを感じていた。
 しばらく、道で立っていた香藤だったが、やがて教えてもらった道を歩きだした。
 駐在所が見えたので、中に入り声をかける。
「すいません〜」
「はい、どちらさん?って誰だいあんた?村のもんじゃないね」
 奥から、小柄で眼鏡をかけた、四十前後のおまわりさんが出てくる。
「ええ、東京から来ました、香藤洋二って言います。寺本教授の助手をしておりました……」
 香藤は探偵ではなく、亡くなった寺本教授の代わりに竹を調べに来た学生という事になっている。
「ああ、連絡はもらってるよ。代わりの人が来るって話だったね。あんたがそうかい?」
「はい、そうです。できれば先生が泊まっていた同じ所に泊まりたいんですが、教えていただけますか?」
「はいはい、夕鶴荘ね。同じとこったって、この村で民宿はあそこしかないよ〜」
 と、駐在さんは、がはは、と笑った。気さくないい人のようで、香藤は安心した。東京から来た他所ものとして冷たくあしらわれたらどうしよう、と思っていたのである。
 夕鶴荘に案内してもらった香藤は、部屋に入り、やっと人心地ついた気がした。東京から汽車やバスを乗りついで二日がかりでここに辿りついたのである。いくら体力に自身があるとはいえ、さすがに疲れてしまった。
 寝仕度を整えた後、香藤は鞄から一枚の葉書を取り出した。
 それは寺本教授からもらった年賀状だった。
 大学時代、寺本教授と香藤は親しい付き合いをさせてもらっていた。専攻は違ったが、寺本教授は他の机で論文だけを書いている教授と違い、なんでも自分の目で確かめなければ気がすまない人だった。そんな行動的なところが香藤と似ており、とても気が合ったのである。大学を卒業してからも、付き合いは続いていた。
 そして、今年もらった年賀状には、いつか先生が話していた、77年に一度だけ華を咲かすという、竹の事が書かれていた。今年がその華を咲かす年らしいから、実際に観察してくると。その為に彼はこの竹園村に来たのである。
 が、彼は二週間程前、その竹林の中で遺体となった発見された。しかも、手足や頭がバラバラになってである。
 寺本教授の細君は身体の弱い人で、知らせを聞いてショックで倒れてしまった。教授は温厚な性格で、人に恨みをかう人物ではない。なんらかの事件に巻き込まれたと見ていいだろう。地元の警察は、通り魔、または変質者の仕業としてみているようである。が、なんといっても、田舎の警察で頼りにならない、と教授の細君は誰が教授を殺したのか調べて欲しいと香藤に依頼してきたのである。
 もちろん香藤は依頼がなくても、調査するつもりだった。誰が、何の為に、そんなむごい方法で先生を殺したのか、きっと突き止めてやる、と決意していた。
『すべては明日からだ。よし、明日の為にしっかり寝ておこう』
 香藤はすばやく布団に潜り込み、電気を消した。
 暗くなった部屋で、香藤はふと、先程あった岩城の顔を思い出した。
『本当に綺麗な人だったな〜』
 あまりに綺麗で、竹の精かと思った程である。不思議な雰囲気もった人だった。
『本当に俺、会ったのかな?』
 夢のような感じがして、いまいち現実感が薄いのだ。香藤は自分の鼓動が早くなっているのに気がついた。その理由が分からぬまま、香藤は明日も彼に会える事を願いながら、眠りについた。

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