※「誘惑」「モナリザの微笑み」の続編となります。
オリジナルキャラの設定と話が続いておりますのでそちらを先にお読み下さい。
この話はオリジナルキャラがメインで進みますので、そういった話がお嫌いな
方はご注意下さい。


fall in love 後編


伊達の言っていた通り、日が沈んだ頃に桃から携帯に電話がかかってきた。
空港に着いたところなので、これから美術館に向かう。警備員に鍵を預けておくから、
話を通しておいて欲しい。
そう、桃は話したが、彼は待っているから館長室に来て欲しい旨を伝えた。
彼は決意して桃を待っていた。
ノックが響いて、返事をすると桃が部屋に入ってくる。
「こんばんは」
いつもとなんら変わらない微笑みを向けている。彼は久し振りに会う桃の姿に、心臓
が掴まれたように苦しくなった。
彼は椅子に腰掛け、デスク越しに桃を真直ぐに見つめていた。桃はデスクに近付き、
マンションのキーを端に置いた。
「…これは返しておく…」
「……………」
無言で彼は桃をじっと見つめた。
「…今回はいろいろとありがとう」
「……………」
「…では…失礼するよ…」
桃は背を向けるが
「…待って下さい…」
その背中に彼が言葉を投げる。
振り返った桃に、彼は立ち上がって近付いた。
「…南の島に…父が静養に行った時の事…覚えてますか…?」
「…え…?」
「俺達家族と…二日間いっしょに過ごしましたよね…」
彼が桃に恋していると自覚した時である。
「ああ…覚えている…」
「最後の夜に…二人でワインで賭けをしたのも覚えてますか…」
「…そうだったな…」
「…あの時の賭け…あなたはわざとはずすようにしましたね…」
「……………」

それは、あの南の島のホテルでの最後の夜だった。
このホテルには立派なワインセラーがあって、世界中のワインが飲めるようになって
いた。いろんな種類のワインの飲み比べに付き合って欲しい、と彼は桃を自分のヴィラ
に誘ったのである。
二人で楽しく談笑しながら何種類かのワインを飲んでいく。桃に恋している事に気づ
いた彼は舞い上がって頭がのぼせて、情事と食事は似ているという話をし始めた。
「剣さんの食べ方は上品ですね…でも、どこか男っぽい…」
「そうかい?」
「…情事の時も…そうですか?
「…さあ、どうかな?自分じゃ分からない」
「俺はどうですか?」
桃は彼は酔っているのだろう、若者が好きそうな話題だな、と軽く考えて付き合って
いた。
「君も品があると思うよ。それにどこか優しい」
「優しい…ってどういう意味です?」
「…う〜ん…ちゃんと料理してくれた人の事を考えてるっていう感じかな?上手く言
えないけど…」
「上手く言えない…ですか?」
「ああ、言葉にしにくいな〜」
「…じゃあ…試してみませんか?」
顔を上げた桃は、彼が熱い男の視線で自分を見つめているのに気づいた。
「…酔ってるのかい?」
「かもしれません…でないとなかなか言えないでしょ…あなたを味わってみたい、な
んて…」
「……………」
「どうですか…?俺のベッドルームは隣の部屋ですけど…」
大胆な事を言っているのは分かっていた。しかし、それ以上に桃が欲しい想いが先走
っていた。
「……………」
桃は無言でグラスの口を指でなぞっている。
その仕草がエロティックに感じられて、彼は身体が火照ってきた。
「…お酒の好みと、そういう好みも似ているそうだ…」
「はい…?」
桃の言葉の意味が彼はすぐに理解出来なかった。
「何種類飲んだかな?」
「…えっと…10種類ぐらいでしょうか?中身を全部空けた訳じゃないですから…」
「瓶を並べてくれ」
桃は赤と白のワインの瓶を3本ずつ交互に並べた。
「銘柄は分かるかい?」
「ええ、これがブルゴーニュ・ピノノアールで、こっちがカルベネ…」
「この中で一番好きなワインが同じだったら…試してみよう…」
「…え!」
「…味わってもいいよ…」
「……………」
「ただし、合えば…だよ…?」
彼の心臓はばくばくと激しく飛び跳ね、口から飛び出してきそうだった。
…駄目もとで言ったのに…いきなりこんなチャンスがやってくるなんて…
「紙に書いて、同時に見せよう。それでいいかい?」
「…は、はい…!」
倒れそうになる程緊張しながら、紙に一番好きなワインの名前を書く。
深呼吸して同時に紙を見せる。
彼は「ブルゴーニュ・ブラン」と書いており、桃は「二番目の白」と書いていた。
並んでいるワインを確認すると、二本目に並んでいたのはシャブリだった。
がくりと彼のテンションが急降下する。
「…残念でした…」
桃は笑みを浮かべて、おやすみの挨拶をして部屋を出て行ったが、ぼう然自失して
いた彼の耳には入らなかった。やけになって残っていたワインをがぶ飲みした彼は、
次の日、猛烈な二日酔いに襲われたのであった。

「あの時、あなたは「二番目の白」と書いた。俺はてっきり「並べられた中で二番目」
だと思ってました。けれど、違う意味にもとれる」
「……………」
「「白の中で二番目に並んでいるワイン」という解釈も出来ます。あなたは、俺が同
じワインを選んでいたら、そう言うつもりだったんでしょ」
桃は黙って彼の顔を見ていた。
「…賭けは必ず親元が勝つようになっている…あなたが教えてくれたのに、気づかな
かったのは迂闊でした…」
「いつ分かった…?」
「先日です…電話があった日から、あなたの事ばかり考えていましたから…」
「ずるいと思ったのか?」
「……いいえ…自分のまぬけぶりに腹がたちました…」
「それは、仕方ない…君はまだ…」
「子供扱いしないで下さい!」
大声をあげた彼は、桃の肩を掴んで壁に押し付けた。
「俺はもう子供じゃありません。あの時とは違います」
「……………」
「もう、試してみようか…なんて軽く言ったりしません。俺は真剣です」
「…待ってくれ…」
「…あなたが好きです…」
「……………」
「…愛しています…」
彼の告白を、桃は「避けたかった事体」がきたと、苦々しい気持ちで聞いていた。
あのワインの賭けの時、自分に対する親しみを恋慕の情と勘違いしているのだと思っ
た。興味本位で試してみたいと思っているだけだと。だから、子供に少々お灸をすえ
るつもりで、あの賭けを持ちかけ、負けさせたのである。
しかし、彼の自分に向ける瞳が、じょじょに熱いものとなっていき、一人暮しを始め
たからとマンションのキーを渡された時は、逃さないような強い視線だった。
その時から、こんな時が訪れるのではないか、と予感していた…
「…君の気持ちには応えられない…」
「…何故です…恋人がいるからですか…?」
「そうだ…」
「伊達って人ですね…今日、会いました…」
「……………」
「…電話で話していた人ですよね…声で分かりました…彼があなたを啼かせられる唯
一の男って訳ですか…」
「傷つけてすまなかった…」
「子供扱いは止めて下さいと言った筈です」
苦しみを感じる彼の声に、桃は言葉を飲んだ。
「…一度だけ…俺にチャンスを下さい…」
「……………」
「…一度だけでいいんです…俺のものになって下さい…」
「…俺は君を…好きだけど…愛していない…」
「そんな事分かってます。でも、諦められないんです」
彼の脳裏に、伊達の余裕のある表情と、自信に満ちた言動がちらつく。
あの男は、誰も知らない桃の姿を知っているのだ…あの甘い声を聞いているのだ。
『…あなたは…どんな顔で…喘ぐんだろう……あの声で……』
「あなたの冷静な外見の内側に、情熱が滾っているのを知っています。その熱さに触
れたいんです…」
「……………」
「一度だけでいい…俺に見せて下さい…」
桃は今の彼らしくない言葉に少し驚いていた。が、そんな台詞を言わせる程追い詰め
たのは自分なのだ。
子供の憧れなどではない。彼は一人の大人の男として、真剣に想っている。
誤魔化しはもう駄目だった。逃げられない。
ここで彼が自分でケリをつけなければ、吹っ切れないのだろう。
彼自身が答えを出さなければ…想いは断ち切れない…
「…分かった…」
桃はチラリと棚に置いてあるチェス盤に目を向けた。
「チェスは出来るか?」
「…え…?」
「今度は親元など関係ない。対等に勝負しよう」
壁から離れて、桃は棚からチェス盤を取り出して、駒を机に並べた。
「チェスで勝負を。君が勝ったら…今夜は君のマンションに行く」
『…あ…』
「君の好きにしよう…」
『…受け止めてくれた…!』
彼は桃が初めて対等に受け止めてくれたと理解する。
チェス盤を置いた机をはさんで、二人は向いに腰を降ろした。
そして、勝負が始まったのである。

勝負は一度きり。
3時間が経過しようとしていた時、決着がついた。
「…チェック・メイト…」
彼の駒が桃のキングの逃げ場を完全に奪っていた。
「……………」
「…俺の勝ちです…」
「…ああ……」
彼は信じられぬ思いであった。
本当に自分が勝ったのか?
まさか、桃がわざと負けたのでは…いや、そんな気配はなかった…
勝負は常に拮抗していて、何度も危ない場面があった。
桃は脱いでいたジャケットを手に取って立ち上がる。
「……君の部屋に行こう…」

後編の続き