相葉影嗣(あいば かげつぐ) …二十一歳、刈谷道場の門弟、相葉家の次男部屋住み
福田謙次郎(ふくだ けんじろう) …三十六歳、刈谷道場の師範代
伊井正太郎(いい せいたろう) …刈谷道場の師範、門弟達の師匠
刈谷新左ェ門(かりや しんざえもん) …刈谷道場の本来の持ち主
刈谷勝之進(かりや かつのしん) …(故人)新左ェ門の父
刈谷九郎兵衛(かりや くろべえ) …(故人)新左ェ門の祖父で福田の師
堀田 …刈谷道場の門弟で相葉の友人
橋本 …刈谷道場の門弟で相葉の友人
平川彦蔵 …謎の剣客

   虎落笛(もがりぶえ)雪華の章 

「同じ部屋で寝ないのですか?」
 福田の家に無理矢理付いていった相葉は、客間にひかれた夜具を見てそう言った。
「……お前はここで寝なさい……」
 心無しかきまずそうな様子の福田がぼつりと呟く。
「今まで同じ部屋に布団を並べて寝ていたじゃないですか?何故変えるのです?」
「…………」
 分っているくせに、わざと聞いてくる相葉が意地悪く思える。福田は枕を相葉に放り投げて渡す。
「早く寝なさい…もう遅い……」
「……はい……」
 珍しく相葉は素直に返事をした。
 福田も自分の部屋に戻り、夜具に横たわった。相葉とは、出来るだけ普通に接しようとしているのだが、上手くいかない。
 今までのように、自分の思い過ごしだと、言い訳する事は出来ないからだ。こんな風に宙ぶらりんな状態は相葉の為に良くないだろう。彼の気持ちを踏みにじっているのと同じである。彼の想いにはっきりと否をださなければ、と分っているのだが、福田は自分の心が分からなかった。
 相葉をどう想っているのか?
 他の誰とも違う存在だとは分かるのだが、それは彼が望んでいる感情だろうか?
 彼のように熱い想いを、自分は相葉に対して抱けるのだろうか?
 しかし、彼を受け入れた事は事実である。それを後悔していないし、同情でもない。では愛情なのか?それはどの人に対する愛情なのか?恋人か?友人か?教え子か?
 それが分からなくて、福田はいつもそこで止まってしまうのである。
 相葉は頭もいいし、見栄も良く、剣の腕も認められて、将来有望な青年なのだ。望めばもっと出世できる筈である。このままでは彼の将来を台なしにしてしまう。
 彼にとって自分はなんの役にもたたない者なのだから……

 この土地に来てから、平川彦蔵は鉱山の跡地にある小屋で寝起きしていた。昔、砂鉄を掘っていた人足らが使っていたらしいが、今は使われていない。ほこりだらけだが、雨露さえしのげればどこでもいいのだ。奪った名刀は裏にある涸井戸の中に隠している。もっとも、これらの名刀はすぐに金にかわる予定である。
 平川にとって刀は試合をする為の口実なので、さほど執着は感じない。初めは普通の道場破りのように、看板や金をかけていたのだが、それはすぐに飽きてしまったのである。それに金となると、こちらに恵んでやっているという態度をとる輩もいたので、平川はおもしろくなかった。しかし、名刀ともなると、相手の自尊心が傷つくので、楽しくなってきたのだ。以来、どこかに銘のある太刀があると聞くと、出掛けて立合いを申し込んでいる。
 ある日、寺で雪華の剣の話を偶然聞き、興味を覚えた。それ程の遣い手の元にある名刀なら、奪いがいがあると思ったのである。
 だが、あの夜会った限りでは、雪華の剣を所有している男はたいした腕ではなさそうだった。すぐに剣は自分の手に入るだろう。いや、自分の実力を知れば、戦わずして、差し出してくるかもしれない。
「ふん、何が水月の剣か……」
 平川は自分の力をみせつけ、思いしらせて、勝つ事が好きだった。絶対無きまでに叩きのめされる奴らの顔を見るのは楽しいものだ。自分にはそれだけの力がある。人を屈服させる力が。
 彼は八才の時、倶梨伽羅が口に入ってくる夢を見た。その時から剣の腕は爆発的に上達したのである。平川はこれを、神が私に力を与えて下さったのだ、と解釈した。
「俺こそが、勝者という言葉にふさわしい人間なのだ」
 平川は闇の中で無気味な笑みを浮かべた。

        *

 次の日、福田は道場で曾根崎家に行った伊井から話を聞いた。
 平川なる浪人が訪ねて立合いを申し込んでも、絶対に受けないように、と助言してきたとの事だった。が、数日後、伊井のこの助言は無駄となった。
 やはり平川は曾根崎家に名刀をかけた立合いを申し込みに来た。だが、主君の曾根崎新之丞は、助言どおり断った。しかし、平川はあきらめず、毎日屋敷を訪れてきたそうである。そして、半分からかいながら対応していた部下の者と言い争いになった。その部下は血の気の早い若者で、平川の挑発にのって立合いを受けてしまった。結局その部下は、平川の剣に倒れた。
 家中の者を倒されたとあっては、主君の名がすたる。曾根崎新之丞は平川に自分から立ち合いを申し込まなくてはならなくなったのである。

 稽古が終わったところで、福田はその話を書斎で伊井から聞かされた。
「……いつ立合いを……?」
「三日後だそうですが、曾根崎殿が負けるのは目に見えています。彼は主君としては立派な方ですが、剣士としては……」
「……太刀をかけているのか……?」
「いいえ。今回は部下の命を絶たれた責任を負ってですから、何も……」
「代行者をたてる訳にはいかんのか……?」
「たてたとしても、その者が負ければ恥の上塗りです。曾根崎家の面目は丸つぶれでしょうし、万が一藩主の耳にでも入る事があれば、お怒りをかうのは目に見えています」
「…それで最近曾根崎が稽古に来なかったのか……」
「父である曾根崎新之丞が亡くなれば、家督を継ぐのは彼ですからね。今は稽古どころではないでしょう」
「……平川はどこにいる……?」
「昔、砂鉄の採掘場だったところで、寝起きしているらしいですが……何か?」
「彼と話をしてみよう……」
「……福田さんが?……無駄だと思いますよ……」
「…………」
「本当に名刀が目的なら、今回の立ち合いは無意味です。その男の話をいろいろと聞きましたが、かなりの遣い手のようですので、命を奪わずに勝つ事もできたでしょう。にも関わらず、男は対峙した者全員の命を奪っている。血に飢えた狂人の所行です」
「…………」
「おそらく、名刀はただの口実でしょう。平川は血を流すのが、人を殺すのが好きなのです。相葉、何の用だ!」
 伊井は突然廊下に向かって大声をあげた。促されるように、廊下の影から相葉が現れる。
「……福田さんが…まだ帰宅しないのかと……」
「もうすぐ話は終わる。稽古場で待っていなさい」
 相葉は黙って去っていった。
「相葉の奴、あれ程言ったのに、福田殿のところに行っているのですか?」
「ああ…しかし私も許したのだ…彼一人が悪いのではない」
 あの日から、相葉は毎日福田と共に道場に行き、帰ってくる。つまり、ずっと寝食を共にしているのだ。本当に用心棒のつもりのようだ。ただし、寝る部屋は別である。
「困った奴だ……」
「この一年で随分性格が丸くなったと思ったが、頑固な部分はそのままだな」
「……相葉は福田殿に執着しているようですね…新左ェ門のように……」
 福田の動きが一瞬止まる。
 新左ェ門が旅立ってからもう七年の歳月が過ぎているが、一向に戻る気配はない。風の便りも聞かず、どこかで打ち果てているのでは、と思う事がある。
 どうか、無事でいて欲しい……
 福田はいつも彼の無事を祈っていた。
「ともかく、平川と一度話をしてみよう。いずれにせよ、彼は雪華の剣を奪いに来ると言っていたのだから、また、会わねばならないだろうし……」
「彼と戦うつもりですか?雪華をかけて?」
「……分からない……」
「私は福田さんが負けるとは思いませんが、勝てるとも思えませんよ」
「……伊井……」
「はい」
「お前は正直だな……」
「は?」
「だから私とも、こんな長い間、普通に付き合えるのだな……」
「……福田さん……?」
 伊井は勘が良くて、人に対する心がとても広い。おそらく彼は自分を分ってくれているだろう、と思う。しかし、その伊井でさえも、自分を完全に受け入れる事は無い。理解はしてくれても、真っ向から懐にいれる事をしないだろう。それは当然だ。
 人は異端を受け入れない……
 相葉は自分の本質を知りながらすべてを受け入れようとしている。新左ェ門のように嫌悪するでもなく、伊井のように一定の間をあけるでもなく、真っ向から自分に向かってくる。
 その事を、嬉しく感じながらも、怖くもを感じている自分に福田は気がついていた。

        *

 次の日、福田は平川に会いに採掘跡を訪れた。来るな、と言ったにも関わらず、相葉も付いて来る。平川はこばかにしたような笑みを浮かべて、小屋に福田を向い入れた。福田にお前は入るな言われて相葉は入り口のところで立ち、話が終わるのを待つ事にした。
「立ち合いを止めろだと?」
「……すぐに、この土地を去ってはくれませんか?聞けば、今回の立ち合いは名刀もなにもかけていないと聞く。利益もお互いないのにこれ以上血が流れるのは無意味だと思いますが」
「それは貴様の言い分だろう。俺の勝負なのだから、無意味かどうかは俺が決める。第一、立合いを申し込んできたのは相手側だ」
「それは家中の者があなたに倒されたからでしょう。家の面子というものがある」
「倒した奴も自分から申し込んできたのだ。死んだのは弱かったからだ」
「……あなたはなぜ名刀を奪うのです?何が目的です?」
「俺の強さがはっきりと心に残るようにする為だ」
「何の為に?」
「言っただろう、俺は倶梨伽羅より力を授かった身だとな。つまり神に選ばれたのさ。その俺が自らの力を誇示して何が悪い」
「……力を見せつけたいのならば、血を流さなくても十分なのではないのですか?」
「おい、お前は坊主か?俺に説教しに来たのか?それとも、俺と戦うのが怖いから去れと言いに来たのか?ふん、水月の剣を継いだ男はとんだふぬけだな、まったく、あの男は何を恐れていたんだか……」
『あの男?』
「平川殿はどこで雪華の剣を知ったのです?水月の事もどこで?」
「宿を借りていた寺に行き倒れで運び込まれた男がいてな。そいつが坊主にぼそぼそ自分の事情を話しているのを偶然聞いたのさ。確か刈谷新左ェ門とか言ったな」
 福田の胸が大きく弾む。
「……彼は…新左ェ門は元気になったのですか……?」
「さあてな…俺は次の日寺を旅立ったからな。そいつが回復したか、死んだかは知らん」
「…………」
「……あいつは随分お前に執着があるようだったな…まさか…念友の仲ではあるまいな?」
 福田の身体が少し震える。
 平川は大声で笑った。
「お前はいろいろと背負い込んでいるものがあるらしいな…いいだろう…曾根崎家との立ち合いは止めてやる」
「本当ですか?ありがとうございます」
「但し、お前と雪華の剣を賭けて立合う事が条件だ」
「…………」
「どうだ?」
「……どうしても、ですか?」
「そうだ、お前を殺したくなった」
「…………」
「嫌なら、曾根崎の当主を倒し、お前にも立ち合いを申し込む。どちらにせよ、貴様は殺す。気に入らん」
「……分かりました……」
「……ほう…それだけの度胸は残っているとみえるな……」
「いつ、どこで?」
「確か、この先の山の中に鳴神の滝という滝があると聞く。そこで、明日、六つ(午後六時)でどうだ?」
 鳴神の滝とは、隣の藩境の山にある見事な滝である。その渓谷や滝つぼは深く険しく、人を寄せつけないが、天をつくようなの高さから落ちる滝はそれは見事でとても神々しい。遠くから聞くと、滝の音が雷鳴にも聞こえる為、この名がついた。おそらく、平川は人気のない場所で福田を討ち、雪華の剣を奪って早々に藩を出たいのだろう。これ以上長居すると、闇討ちに合う危険性がでてくるであろうから。
「分かりました。ではこれで……」
 そう言って福田は立ち上がり、小屋を出た。
 出ると、入り口付近で立っていた相葉は、強張った表情で福田を見つめてくる。話が聞こえていたらしい、と福田は分った。
 しばらく無言で歩いていたが、相葉は聞いてきた。
「どうするつもりです……?」
「…………」
「本当に立合う気ですか……?」
「ああ……」
「なぜです!?」
 相葉は福田の前に出て、足を止めさせた。
「雪華の剣がなんだというのです。あなたは物が命より大事になってはいけないと言ったではありませんか!」
 相葉の口調は怒りを押さえたように震えている。
「……思い出したからだ……」
「え……」
「何故自分が水月の剣を会得しようと思ったのかをな……」
「…………」
「国を出奔してきた頃、何故自分が水月を継いだのか疑問に思ってしまった。他の剣でも良かったのではないかとな…しかし、そうではなかった……初めて九郎兵衛殿から水月の剣を見せてもらった時、継ぎたいと思ったのではなく、継がなくてはならない、と思ったのだ」
「…………」
「継いだ者にはそれを守る義務がある。私はそれを果たさなければならない……」
「雪華を血で汚す気ですか?」
「…………」
「私が代わりに立合います」
「駄目だ。お前では勝てん」
「やってみなければ分かりません」
「分かる。お前に適う相手ではない」
「では、どうすればいいのです!?」
 相葉は荒々しく福田の肩を掴んだ。
「行かせませんよ」
「相葉……離しなさい……」
「嫌です……」
「……離せ……」
 その時、相葉は福田の瞳に、今まで見た事のない程の強い色が浮かんでいるのを見て、無意識に手を離してしまった。そのまま福田は立ち尽くす相葉を除けて歩き出した。
 遠のく福田を背中に感じながら、相葉は拳を強く握る。
 自分の力不足がくやしかった。そして、何より福田自身に腹がたつ。 自分の気持ちなど意にかいさない彼が。
 どんなに手をのばしても届かない。どんなに求めても彼は水のようにこの手をすり抜けていくのだ。月のようにひとりじめ出来ずに……
 福田があの狂人と立合い、命を危険にさらすと思っただけで吐き気がする。水月は負ける筈がないが、福田に人は殺せない。だが、あの男は中途半端は力で倒せる相手ではないのだ。
 一体どうするつもりなのだ……
 相葉は振り向き、小さくなった福田の背中を見つめた。
 いっそ自分が、今ここで彼の命を絶ってしまおうか……
 そんな考えが頭に思い浮かび、相葉は甘い感覚に捕われる。
 福田の命を奪った時、その時だけが、彼をこの手に捕まえておける気がした。

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